25年前、我が家は小学生の男の子が二人の四人家族。
家を新築した暁に、かねてからの三つの夢が実現しました。
- 一つは犬を飼うこと
- もう一つは芝生の庭を作ること
- そして、三つ目はホームスティを受け入れること。
ホームスティ先を募集している団体に連絡をして、ドキドキしながら対面の日を待ちました。
翌年の夏休み、やって来たのは香港の大学生のお姉さん。
実はその時、同居していた、我が子たちの祖母、私の母が大反対。
「その人が来ても、私は会わないから」と、機嫌を損ねていたのです。
我が家に母がいることを前持って知っていた彼女は、家に到着するなり、姿が見えない母を、部屋の外から「おばあさん、おばあさん、こんにちは」と、
大きな声で呼んだのです。
その途端、母は「はいはい!よくいらっしゃいました!」と、満面の笑みで出て来たのには驚きました。
明るく誠実な彼女に、母の機嫌もすっかり良くなって、それから一週間、一緒にキャンプに行ったり、買い物をしたり、料理をしたり、子どもたちと遊んだり。
母はいつの間にか浴衣を用意していて、部屋に招いて着せてあげたり。
すっかり打ち解け、まるでずっと以前からの親戚のようでした。
そんな楽しい時間をも、あっと言う間に時は過ぎてしまいました。
お別れの日、「私はもう、再会はできないだろう」と言って、号泣していました。
しかし、彼女はその後、日本に留学して、再び会うこととなりました。
彼女が香港に帰ってからも、私たちが香港に会いに行くことができました。
彼女の結婚式にもお招きいただきました。
今現在、妻として、三女の母として、キャリアウーマンとして、活躍している彼女。
クリスマスには必ずプレゼントを送ってくれます。
私も彼女の娘達にプレゼントを送ります。
25年前には影も形もなかった、SNSという代物で、私たちは毎日会えます。
そして、今年の夏、彼女は一家で我が家に遊びにくることになりました。
「お金を貯めて、必ず行くから」と言っていた彼女の言葉が、遂に現実となります。
今は亡き母が、25年前にしてくれたように、今度は私が、彼女の娘たちに浴衣を用意して。
「日本に来たら、どこに行きたい?」と彼女に尋ねたら、「日常を過ごしたい。スーパーマーケットに買い物に行って、お料理したり、自然を楽しんだり、あのときのように」と、答えが返ってきました。
25年を経てもなお続く交流は、何にも代え難い宝物です。
初めて我が家にお迎えした彼女の後も、10年間、毎年ホームスティの受け入れをしました。
香港、フィリピン、シンガポール、インドネシア、ブルガリア。
女性も男性も、学生さん、お仕事研修の方、いろんな方々をお迎えしました。
国も言葉も習慣も違いますし、話が苦手な人、おとなしいタイプの人もおられましたが、人としての心はみんな一緒でした。
短い時間ですが、家族以外の海外の人と一緒に生活することは、いつも新鮮で気づきや発見があり、刺激的でとても有意義な時間でした。
海外に家族同様の友達がいる、それはとても幸せなことです。
その経験もあってか、長男も高校時代に一年間、アメリカに留学しました。
ずいぶん苦労もしたようですが、とても骨太になって返って来ました。
ホームスティの受け入れ、チャレンジして見ませんか。
writer: シルクウィンド 59 女